国土回復戦争

 ペルシアと和したユスティニアヌスは、故西ローマ帝国領の各地に建国されたゲルマン人国家を次々と滅ぼしていった。幸いなことに、ユスティニアヌスは有能な将軍に恵まれた。将軍ベルサリウスは、旗下の軍隊の規律に厳しく、当時は当たり前であった攻略した都市に対する略奪やその住民に対する暴行を禁じ、戦闘における勇敢さとともに、その優れた人格から、ビザンチン帝国屈指の名将と謳われた。ベルサリウス指揮下の帝国軍はを北アフリカのヴァンダル王国を攻撃し、これを併合、スペインの地に建国された西ゴート王国の内紛に乗じ、南部を併合していく。一見順調に見えた征服戦争であったが、ローマ帝国発祥の地であるイタリア半島には、オドアケルを滅ぼした東ゴート王国が控えていた。

 ベルサリウスは当初、順調に東ゴート軍を撃破していたが、彼の成功をねたむ同僚の陰謀により、皇帝の不信を買い、帝都に呼び戻されてしまう。後を任された司令官たちは、無能な者ばかりで、せっかくベルサリウスが占領した広大な領土は、フランク族の応援により戦力を強化したゴート軍により取り返されてしまう。さらに、ビザンチン帝国はイタリアや、征服した北アフリカ、スペインなど、各地に戦力を分散したため、東ヨーロッパの防衛体制は弱体化してしまう。そのため、スラブ人などの蛮族の侵入が相次ぎ、多くの町が略奪にあった。こうした蛮族たちの侵入を撃退したのも、名将ベルサリウスであった。

 東ゴートの反撃によりイタリアから追い返されそうになっていたビザンチン帝国ではあったが、ベルサリウスに次ぐ名将といわれたナルセスの総司令官就任により、体勢を立て直した帝国軍は、東ゴート王国を滅ぼすことに成功、最終的な勝利を手にすることができた。395年の東西分裂以来100年以上の時を経て、帝国の人々は、やっと発祥の地に帰ってきたのであった。

 多くの犠牲を払いながらも、久々に故郷を取り戻した人々の喜びは想像するに難くない。しかし、やっとの思いで帰ってきたローマは・・・

 見渡す限りの廃墟となっていた。ローマは東ゴートとの戦場となり破壊されてしまったのである。古代ローマ帝国時代、世界の中心となり人口30万とも40万ともいわれたローマ。ビザンチン帝国が故郷を奪回した時、この地に住む者は、わずか500人であったと伝えられている。