ユスティニアヌスの後継者たち

 ユスティニアヌスは子供に恵まれず、その死に際して、甥に当たるユスティヌス2世を次期皇帝に指名する。彼の治世、ササン朝ペルシアは再びビザンチン帝国との戦端を開き、イタリアでは、ロンバルト族による侵入により、せっかく回復した領土が侵食されていった。

 一個人としてのユスティヌス2世はおそらくユスティニアヌスより善良であり、ユスティニアヌスの治世にはびこった行政の腐敗を正そうと努力した。しかし、彼は健康に恵まれず、外敵の侵入に対し積極的な反撃に打って出ることはできなかった。そして、自らの余命が幾ばくもなく、現在の帝国の置かれた状況を打開することができないことを悟った彼は、賢明にもバルカン戦線で成果のあったティベリウス2世に跡を託し退位した。退位後の余生は平穏であったと伝えられている。

 ユスティヌス2世から後を託されたティベリウス2世は、先帝の政策を継承し、ペルシアに対し反撃を開始、国内では東西両ローマ帝国の名物ともなるクーデターが企てられていたが、これを未然に防止した。ユスティヌス同様、ティベリウスも人間としては優れた人物であり、統治者としても、相次ぐ戦乱や自然災害で疲弊した国民の生活をいたわり、彼自身は質素な生活に務めた。しかし惜しくも、彼は統治開始からわずか4年でこの世を去る運命にあった。ローマ史の名著「ローマ帝国衰亡史」の著者である、歴史家E・ギボンはその著書の中で、「この愛国的な国王という天の最善の贈物が固有かつ永続的な恩恵として確立されたならば、東ローマの臣民はどれほど幸福であったことか」と彼の短命さを惜しんでいる。彼はその死に際し、前任者であるユスティヌス2世と同様、ペルシア戦線で功績のあったマウリキウスを後継者に指名、息を引き取った。