ビザンチン帝国の興隆

 ローマ帝国の東西分裂後、ビザンチン帝国は地中海世界随一の国力を誇る超大国となる。その権威は、ゲルマン人すら認めるところであり、西ローマを滅ぼしたオドアケルなどは、わざわざ、「ビザンチン帝国のローマ方面総督」としてイタリアを統治していた程である。ビザンチン帝国は、ゲルマン諸部族の対立を利用し、ゲルマン人が結束しないように配慮した。493年、オドアケルは東ゴートによって滅ぼされるが、これもビザンチン帝国が画策したことである。そしてその東ゴートもまた、555年ビザンチン帝国によって滅ぼされるのである。

 ビザンチン帝国の歴代の皇帝達は、周辺民族と同盟し、彼らを防壁として利用しながら、必要に応じて、自国の戦力を投入するという、したたかな外交戦略により、国力を蓄えていく。

その蓄えたパワーを一気に解放したとき、地中海は再び、「ローマの内海」と化す。

ユスティニアヌス1世の治世である。