ウマイヤ朝による帝都攻撃

 コンスタンス2世の次に皇帝となったコンスタンティノス4世の治世、体制を整えたウマイヤ朝は再びビザンチン帝国に侵攻を開始した。ウマイヤ朝の艦隊が帝都コンスタンティノープルにまで攻撃を加えてきたが、ここでビザンチン帝国は艦隊戦に際し、「ギリシアの火」と呼ばれる新兵器を使用する。これは一種の火炎放射器であり水をかけても燃え広がるばかりで、消すことができなかった。これは、当時の科学技術では神による奇跡としか思えなかったに違いない。この新兵器によりビザンチン帝国艦隊はウマイヤ朝の艦隊を焼き払い、ウマイヤ朝は敗北した。

 ヘラクレイオス1世に始まるビザンチン帝国ヘラクレイオス朝は上記コンスタンティノス4世の死後も30年ほど続いたのち、クーデターにより滅亡し、ヘラクレイオス朝に続くイサウリア朝がレオン3世により創始される。ビザンチン帝国が名物の宮廷動乱により混乱している間、ウマイヤ朝はビザンチン帝国のアジア領を荒らしまわり、急速にその領土を広げる。

 698年カルタゴ総督府陥落。ウマイヤ朝の侵略からかろうじて残されていた北アフリカ領も失われる。そして、ウマイヤ朝の軍勢はギリシア対岸のペルガモンにまで達し、更にはヨーロッパ側に上陸、717年、陸海両面からコンスタンティノープルを攻撃した。1000隻近いウマイヤ朝の艦隊が帝都を包囲する。

 対するは、この年、皇帝になったばかりのレオン3世である。陸海両面からの攻撃は帝都を危機的状態に陥れたが、ビザンチン帝国の血で血を洗うような権力闘争に勝ち残り、皇帝となったレオン3世は巧みな戦術と、外交手腕により、ウマイヤ朝を撃退する。

 戦闘では、「ギリシアの火」がまたもやウマイヤ朝の艦隊を撃退。

 外交では、黒海東岸のハザール=ハン国と交渉し、同国にアルメニアを攻撃させ、ウマイヤ朝のアジア側領土の後背を突くとともに、黒海西岸のブルガール=ハン国をトラキアに侵攻させ、帝都を包囲していたウマイヤ朝陸軍の背後を攪乱させたのである。

 周辺民族を利用し「夷を以って夷を征す」。ビザンチン帝国お得意の外交戦略により、レオン3世はこの危機を克服し、名君としてその名を残すことになる。