勝利と至福のひと時

 622年、足掛け6年にも及ぶ長期遠征の始まりである。帝都を出撃した帝国軍は、黒海東岸に上陸、キリスト教を信仰する諸部族を傭兵として雇い、軍隊を補強、一路ササン朝の帝都クテシフォンを目指す。

 624年、地中海の遥かかなた、ユスティニアヌス1世によって回復されていたスペインのビザンチン帝国領が西ゴートにより征服される。

 626年には、ペルシア・アヴァール同盟軍が帝都コンスタンティノープルを攻撃。留守を預かるコンスタンティノープル総大主教セルギオスは聖母マリアのイコンを持って難攻不落を誇る帝都の大城壁を歩き、兵士を激励した、また、帝国海軍も艦隊戦で勝利し、ペルシア軍によるコンスタンティノープル攻略は失敗に終わる。

 627年、帝都を遠く離れ、苦しい作戦行動を強いられてきた帝国軍は、ついにササン朝の心臓部に突入した。アッシリア帝国以来の古都ニネヴェ付近で行われた会戦で勝利した帝国軍は、翌628年ササン朝の帝都クテシフォンに迫る。

 この頃、ササン朝の宮廷内では、クーデターが発生し、皇帝ホスロー2世は処刑され、カヴァード2世が即位した。カヴァードはヘラクレイオスに降服し両帝国の間で講和条約が結ばれた。 

 この講和条約によりヘラクレイオスはペルシア皇帝の後見人となり、戦争で失われた領土もすべて返還された。

 ヘラクレイオスは6年ぶりに帝都に帰還し、ローマ帝国伝統の盛大な凱旋式が挙行された。白い象をはじめとするペルシアからの戦利品が展示され、市民の関心を集めた。皇帝ヘラクレイオスと総大主教セルギオスは抱き合い、互いの労をねぎらった。そして、共に聖ソフィア大聖堂で感謝の祈りを捧げた後、皇帝は競技場で市民の歓待を受けた。

 630年にはイェルサレムにて、ペルシアに奪われていた聖なる十字架の返還式が行われた(その時の式典を題材にしたと思われる絵がルネサンス期の画家ピエロ・デラ・フランチェスカによって描かれている)。

戦いに明け暮れたヘラクレイオスの苦労が報われた至福のひと時。


 帝国の人々にとっても、長く苦しい戦いが終わり、強敵ペルシアを倒した今。荒廃した国土を再建し、蛮族たちにより征服されたヨーロッパ領を再び奪回し、地中海世界が再び「ローマの内海」と化し、永遠の平和が訪れる日もそう遠くはあるまい。そう考える者も多かったに違いない。辺境地域ではムハンマドによる新興宗教や蛮族による襲撃は依然続いていたものの、もはや単独でビザンチン帝国に対抗できる勢力は存在しないように思われた。

帝国には、久々に平和な日々が戻ろうとしていた・・・。