名君の下で

 帝国の救世主、アレクシオス1世は1118年に没した。後を継いだ息子のヨハネス2世もまた、有能な君主であり、即位直後のクーデターを抑えると、国力の伸張に努めた。

 イタリアでは、シチリア島と南イタリアを占領したノルマン人が王国を建国していたが、ノルマン人は更に領土拡張を模索していた。これは、ビザンチン帝国のみならず、イタリアの都市国家や、イタリアへの勢力拡大を狙う神聖ローマ帝国にとっても、大きな脅威であった。ヨハネスはイタリア各国、神聖ローマ帝国と同盟し、ノルマン人の動きを抑えることに成功する。

 バルカン半島では、ハンガリー王国の支援を受けたセルビア人が独立運動を激化させていたが、これを鎮圧、ハンガリーに対しても戦闘を有利に進め、和平に持ち込んだ。

 小アジアにおいては、地中海沿岸部に領土を拡大し、帝国の宗主権を認めたはずのアンティオキア公国が反抗すると、これを屈服させ、イスラム勢力の攻撃に対しても良く持ち堪えた。

 ヨハネス2世は内政においては、財政の健全化に努め、宮廷の贅沢や浪費を戒めた。アレクシオス1世、ヨハネス2世という親子二代の名君の努力によって、ビザンチン帝国はまたしても、地中海世界の強国の地位に返り咲いた。

 ヨハネス2世は、1143年没したが、ある歴史家はこの名君を「ローマの帝位に就いたコムネノス家出身の諸帝中、最上の人物」と称えている。